「子どもに”先生”と呼ばせるか」問題

放課後等デイサービスで直面する問題の多くは、「どうしたら解決できるか」わからないというより、「どうするのが正しいのか」がわからない問題の方が多いのです。

「どうするのが正しいのか問題」の典型例として、しばしば見受けられるのが「デイを利用するお子さんに指導員のことを『先生』と呼ばせるべきか否か」という問題です。先生とよばない場合は「○○さん」とさん付けで呼ぶ場合が多いようです。

この問題は大抵の場合、誰かが「子どもに自分たちのことを『先生』と呼ばせるべきではないのでは」という問題提起するところから始まります。その理由として「『先生』という呼び方が、お子さんに上下関係を意識させ、対等な関係を作りにくくさせるから」といった類の説明がなされます。ここに意見の相違が起きやすいのです。

というのも、「先生」という言葉に非対等なニュアンスを感じるかは人により差が大きい。差をあまり感じない人にとっては枝葉末節にこだわりすぎるように感じられます。もう一つ、より本質的な問題は、そもそも指導員と子どもたちとの関係は非対等であるという考え方が人がいることです。この人は「指導員と子どもは対等な関係である(から先生呼びはよくない)」と考えている人とは根本的に価値観が違います。

この問題に正解はありません。かといって、「考え方は人それぞれ」で済む問題でもありません。なぜなら、田中指導員は「田中先生と呼びなさい」と言い、斎藤指導員は「斎藤さんと呼びなさい」と言ったのでは子どもたちは混乱するからです。

厄介なのは、経営者や管理者が「『先生』と呼ばせたくない派」であり、その考え方を部下である指導員に一方的に求める場合です。そもそも「子どもとの関係は対等であるべき」だという考えでありながら、その考えを部下に一方的に求めるとその点は対等な関係でなくなってしまうからです。もちろん、指導員と子どもの関係と、上司と部下の関係は違います。しかし、前者は対等な関係であるべきだが、後者は上下関係(だから私の言うことを聞くべき)というのは、指導員側としては承服しがたいでしょう。

 

この問題を解決するポイントは「合意形成」です

まずは「先生」という言葉にどんなニュアンスを読み取っているのか、特にそれが非対等な関係を想起させるのかを中心に、事業所のメンバーそれぞれがお互いの考えを出し合ってみるとよいでしょう。その上で、「指導員と子どもとの関係は対等なのか?」についても議論してみる必要があるでしょう。もしそこでメンバー間の考え方の違いが明らかになったら?呼び方の話どころではない大きな考え方の対立があるということです。そこに直面することには不安や恐怖を伴いますが、そこに直面せず、メンバー同士ズレた考え方でお子さんの支援にあたることのほうがよほど深刻な問題です。「職場の人間関係で退職」ということの多くが、こうした表面化しない価値観の対立の結果として起きるものです。

呼び方にせよ考え方にせよ、チームとして支援にあたる以上結論はある程度揃えなければなりませんので、どうしても意見がまとまらないとしたら最後は上長が判断することになるでしょう。しかし、その過程でメンバー同士がお互いの異なる考えを出し合い話し合ったことで、仮に自分の考えとは違う結論に至ったとしても納得してチームの一員として活動できることにつながるはずです。

 

さて、ここまで述べてきたことはすべて「大人の側の話」です。そもそも大人が自分たちに対して特定の呼び方を子どもに求めること自体対等な関係ではないという考え方もあるでしょうね。私はその考え方に近く、先生呼びでもさん呼びでもどちらでもかまわないというスタンスです。